「プロクルステスの寝台」という逸話があります。
プロクルステスとはギリシア神話に出てくる盗賊の名で、メガラからアテネに向かう街道に潜み、旅人を捕らえ自分の寝台に寝かせて,その身長が短すぎると槌で叩いたり重しをつけたりして引き延ばし,長すぎるとはみ出た分を切り落として、無理やり寝台に合わせたといいます。
このことから、「プロクルステスの寝台(Procrustean bed)」という言葉は、現在でも「自説に無理矢理合わせる杓子定規」,「自説への容赦ない強制」という意味で、修辞として使われます。
村中は、IT導入事例でよく見られる「課題・効果・展望」などのテンプレートは、この「プロクルステスの寝台」だと思います。
多くの企業を取材すれば、内容はさまざまですが、どんなに個性的な取材内容であったとしても、それを「課題・効果・展望」という遠足文形式のテンプレートに無理矢理押し込むと、あまり面白くなくなりません。
「課題・効果・展望」のテンプレートで困るのは、「各章をバランス良く書くように」という規定も付随していることです。どこかが突出して長いと不格好なので、バランス良くまとめてください、というわけです。
しかし、現実の取材内容は、たいていバランスは良くありません。
たとえば「課題」の部分。法人が何かを導入するとき、商材によっては、その導入の理由が「業界内で他社がやらかしてくれたから、ウチも対応しないわけにはいかないし」とか、「社員がやらかした。取引先から強いクレームがあり対応が必要になった」というように、「不祥事」「やらかし」が導入前の「本当の課題」であることがあります。
もちろん、そんなことは書けないし、書きません。そもそも導入理由が不祥事である場合、そのことは事前にだいたい見当がつくので、取材ではそもそも質問さえしません。もし相手が「実はね…」と言ってきたとしても、やっぱり書いてはいけません。それが大人の配慮というものであって。
「効果」の部分も同様です。たとえばウイルス対策製品の導入効果ってどう書いたものでしょうか。「誤ってウイルスを取引先に送ってしまいました。でも今はそうした事故はゼロです」という話だったとしても、「ウイルス減少率はマイナス97.4%」など定量的な効果があったとしても、ま、書けませんわな。
「誤ってウイルスを取引先に送った」とか、たとえ過去の話だとしてもやっぱり人聞き悪いですし、減少率97.4%ということは、じゃあゼロじゃないわけ?となっちゃいますし。
こういう場合の事例制作は、課題や効果のところはサラっと流して、他の項目を文章の柱に据えたいところです。しかし、「課題・効果・展望の順にそれぞれバランス良く記述せよ」といったテンプレートのシバリがあると原稿制作はなかなかつらくなります。そんなとき、プロクルステスの寝台のたとえを思い出すわけです。
商品それぞれ、担当者それぞれ、企業の事情もそれぞれですから、だったら事例もそれぞれで良いわけであって、それを遠足文形式のテンプレートに強制変換する必要はないんじゃないかな、と一介の事例制作者としては、そのように感じております。