困る質問



すみません、少々、問題発言をさせていただきます。



ときどき、セミナーで「いい事例を書くコツを教えてください」のような質問をされることがあります。



素朴な質問なら良いのですが、困るのは、それが「おい、セミナー講師、何かコツ教えろ。それができないならお前のノウハウなんかインチキだ」というモードで質問されるときです。



コツやセオリーはいくらでもあるので、「いろいろありますが、一つには…」という感じで回答していますが、でも正直言うと、「こういう質問をする人には、話しても分からないだろうなあ」とも思います。



いや、別に出し惜しみはしていないですよ。いくらでもしゃべります。でも、本当のセオリーは受け入れる側にも度量が必要なんです。たとえば、いま、村中は「事例構成の黄金構成」という情報を無料公開しています。これなんか、コツ中のコツ、セオリー中のセオリーだと思っていますが、そんな大事な情報をなぜ無料公開しているかというと、「だいじょうぶ。みんな、頭でわかっても実作への応用はできないから」と内心で思っているからです。



この辺の感覚を、元プロ野球選手の豊田康光さんがみごとな文章で表現していました。



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「一流のプレーをするためのセオリー(理論)を教えてください」と真剣に聞かれたら、「まず君のセオリーを聞かせてほしい」と言いたい。「それがわからないから聞いている」という返答なら、がっかりだ。なぜなら、セオリーを持たない人間に私のセオリーを話しても、何の役にも立たないからである」



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「いい事例を書くコツを教えてください」を教えて欲しいという人に、「こんなやり方がありますよ」と教えると、しばらくして「言われたとおりにやってみたけど上手くいきませんでした」と言われることがあります。そういうときの「上手くいきませんでした」という顔や口調は、たいてい、すごく不満げなんですね。「おまえのいうとおりやったけどダメだったよ。どうしてくれんだよ」というかんじ。



まあ、なんちゅうか、「こういう人」は上達しないなあと思います。「セオリーを使うためのセオリー」、「コツを使いこなすためのコツ」が分かっていないと思うのです。この辺のうまくいえない感覚も豊田さんがお見事に表現しています。



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俗に言うセオリーとは「概ねの結果」であるというのが私の考えだ。野球を語るときや指導するときのおおよその共通語にはなり得る。しかし、それはあくまで本質の入り口に過ぎず、その通りやればうまくいくというマニュアルなどでは決してない



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「いい事例を書くコツを教えてください」というのは、「いい仕事をするためのコツを教えてください」というのと、同じぐらい、あいまいなで非生産的な質問だと思います。



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自分だけのセオリーを求め、物事を真摯な眼差しで観察し、試行錯誤を繰り返している人間は有望だ。経験が集積され、ついには「勘」と呼ばれるものに昇華して、いかなる状況でも体が自然に反応するようになっていく。

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何かを作ることには技能はあるが、必勝法はありません。



安易にコツやセオリーを求めて質問する人は、たいてい必勝法を求めています。そういう人にコツを教えてあげると、あとで「言われたとおりやったけど上手く行きませんでした」と言ってきます。



「いい仕事をするための必勝法を教えてください」

「いい事例を書くための必勝法を教えてください」

「売上げを上げるための必勝法を教えてください」



「ないですよ、そんなの」と答えたくなりませんか。


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