「村中さんはなぜ事例専門の会社なんてユニークな形で起業したのですか?」とよく聞かれます。
その質問には「会社員として事例マーケティングしたのがうまくいったので、事例ならいけそうだと考え、起業しました」と答えています。
ただ、この話、ウソではないが、実は言っていないことがあります。実は、自発的に会社をやめて起業したのではなく、会社をクビになってしかたなく起業したのです。
カスタマワイズも創業17年目になりました。いろいろな話ももう時効でしょう。あらためて、クビになった経緯、起業した経緯、立ち上がり時期にどう顧客をつかんでいったか、などを記してみたいと思います。
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ある日、就業中、突然、人事部長から奥の会議室に呼び出された。席に着くと、人事部長が開口一番、「村中さん、おやめください」と言う。私の何が不十分なのか、その説明は30秒ぐらいだった。その後、「今、自己都合でやめれば、給与の数ヶ月分をパッケージとして出します。やめない、というのであれば、パッケージはありません」と説明があった。
私は外資系ソフトウエア会社に勤めていた。その時、勤続9年目。その年数なのに、会社では1,2を争う古参社員、古株だった。社員の入れ替わりがすごく激しい会社だったからだ。それまでにも、多くの社員が「パッケージ付き解雇」、「金銭解雇」されてきた。だから自分が言われても、そこまでの驚きはなかった。
ゴネてもしょうがないので、その場で退職書類などもろもろの書類にサインした。そして帰宅。翌日、出社すると、社内ネットワークにはすでにログインできなくなっている。私物類をダンボールに詰めて宅急便を手配し、同僚に挨拶し、会社を出た。これで解雇退職は完了。もちろん次の仕事のあてはない。こうして私は30代後半で無職となった。
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(つづく)
そういうやり方で人を入れ替えている会社があること、また海外ではそれが主流らしいということは知っています。しかし、どうしてそういうやり方をするのか不思議に思っています。おそらく村中さんはそれなりの成績も収められていたと思いますから、その人を切って、他の人に入れ替えて、うまく行くもんですかね。その会社のその後を知りたいところです!