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「~させていただく」がわかった。

二日前に、「『~させていただく』がわからん」というブログを書いた。 『~させていただく』とは、誰が誰に何をさせて、誰が誰から何をいただいているのか? http://blog.customerwise.net/?eid=546612 二日考えて、分かった気がする。 「~させていただきます」は、 「この度、事例を書かせていただきます村中です」とか 「この度、事例を書かせていただくことになり、光栄です」とは言うが、 「村中は、この度、事例を書かせていただきます」とは言わない。 「私は、事例を書きます」のように、普通に、主語-述語の形で使うことはない。謎解きのカギは、ここかなと思った。 「事例を書かせていただく」という言葉は、 「(クライアントが、村中に、)事例を書かせて」、 「(そのことを、村中は、クライアントから)いただいている」 という文章構造であろう。 つまり、事例を書いたのは、 村中の自由意志ではなく、クライアントがさせてくださったことであり、 それを、ありがたくいただいているという意味構造だ。 ということは、「事例を書かせて」の主語は、「クライアント」だ。 こう考えれば、村中を主語にして、「村中は、この度、事例を書かせていただきます」と言えない理由が分かる。

「~させていただく」がわからん

あほなんですが、いくら考えても分からないことがあるので、わかるひとは、誰か教えてください。 「~させていただく」という言葉の構造。 たとえば「この度、事例を書かせていただきます、村中です」と言ったとき、 これは誰が村中に事例を書かせているのか? そんで、 村中は、誰から何をいただいているのか?

ことばの○×(マルバツ)

文章をたくさん書くことを仕事にしているので、ことばそれ自体について考えることが多くなる。 以下、気になる言葉についての最近のわたしの考え。 左の○×は、好き嫌いについての○×△(※) 右の○×は、正しい正しくないの○×である。 – 「全然」いい(△、○) – あけましておめでとうございまし「た」(△、○) – 今日、この闘技場につどい「し」勇者たち(×、×) – 犬死にせ「し」もの(○、○) – 馬から落馬する。(×、×) – 二度と再び(○、○) – 片腹いたい(○、△) – 超スゴイ(△、○) – シェフ「こだわり」の一品(×、×) – オレ、原稿書きが仕事だから、キーボードには「こだわっちゃう」んだよな~(△、○) なお、「正しい、マル」、「正しくない、バツ」とした語は、なぜ正しいか、正しくないかが説明できなければならない。 一応、ぜんぶ自分なりの説明はできることを確認してマルバツをつけました。 かつて「開眼というのは、カイガンではなく、カイゲンが正しい読み方です」と語っていた人がいた。なぜかと聞いたが、答えてくれなかった。 こういう漢字博士っぽい博識は、あんまり意味があるとは思えない。 開眼をカイゲンと呼ぶのは、唐音読み。 唐音読みは鎌倉期に留学僧によってもたらされた。 さてここで個人的に疑問。 「752年(天平勝宝4年)4月9日の大仏開眼供養」の「開眼」は何と読むべきか? 仏教だし、やっぱりカイゲンか?。でも、カイゲンという唐音読みが輸入されたのは鎌倉時代。では奈良時代の僧は開眼を何と呼んでいたのだろうか。 あと、「開眼手術」。これは「カイガンシュジュツ」でいいんじゃないかと思う。眼科は「ガンカ」なんだし。仏教と関係ないし。 (※) △というのは、「別に嫌いじゃないし、自分も話し言葉では使うが、しかし書き言葉では使わないことにしている」ぐらいの定義です。

「これは日本語としておかしい」という言葉遣いは良くないと思う。

「これは日本語としておかしい」という言葉遣いは良くないと思う。 「日本語としておかしい」ということを誰もが言うが、 なぜおかしいのかを、きちんと説明する人は少ない。 「日本語ではそういう表現はしない」とか 「とにかくおかしい」とかばっかり言う。 そういうのは、良くない。 まじめに論理的に考えよう。 というわけで、私は、ブログのこの場所で、私なりに色々考えてみることにする。