蜷川実花監督 沢尻エリカ主演の映画、ヘルター・スケルターは、「目で料理を食べるような映画」でした。
料理では、様々な食材が、巧みに調理、混合され、それが皿の上に艶やかに盛りつけられていますが、口に入れれば全部がグチャグチャになり、だけどそのとき、脳には「おいしい!」という信号が発生します。ヘルタースケルターも同じように、沢尻エリカというメイン食材と、脇役の男優たち、女優たちというサブ食材が、蜷川実花の極彩色のメソッドで調理され、その映像を目で取り込みセリフを耳に入れ込み、脳の中でグチャグチャに混ぜ合わせて、堪能したところへ、上野耕路の音楽が冷たいワインのようにクールダウンするという、とても目と耳においしい映画でした。
では、この映画の良かったところについて、様々なところから書いていきたいと思います。
*** 1: チーム沢尻
「別に…」発言で、一躍、お騒がせ女優となった、沢尻エリカも、半年ぐらい前は何となく話題に上らなくなり、つい最近まで、やや忘れられかけていましたが、そんな腐りかけの果物のいちばん美味しい時機に、絶好のタイミングで公開されたのが、今回の映画です。
ヘルタースケルターは、上映時間の四分の三ぐらいが、沢尻エリカ演ずる主人公りりこが映っています。このりりこは、出演時間の間、悪いことか自分勝手なことか、どちらかしかしませんが、そのアンフェアでダーティなところをビューティで帳消しにするという役柄なので、映像の沢尻エリカは「スクリーンを制圧するほどの華やかな美貌がないといけません(蜷川監督・談)」。そして、その狙いは十分に実現できていたと思います。沢尻エリカの見た目は、プロポーション、肌ツヤ、髪のツヤなど、すべてがさすがでした。
かつて北島康介が金メダルを取ったときに、「自分はチーム北島の泳ぎ担当です」とコメントしていました。金メダルの泳ぎが実現できたのは、コーチやトレーナーなど全員の献身があったからこそで、自分はチームみんなの力を、泳ぎという形で具現化したにすぎないと言っているのです。
今回のヘルタースケルターでも、沢尻エリカの華やかな外見は、本人の努力だけでなく、衣装、照明、メークなどの「チーム沢尻」みんなの賜だと思いました。個人的に、ほほーと思ったのはヘアメークです。今回、沢尻エリカは全編にわたりストレートロングですが、その長い髪の毛が、場面ごとに色やツヤを変えて、髪が芝居をするのです。
基本は頭頂に天使の輪をつけた、つややかで張りのあるロングヘアーです。この映画の撮影期間がどれぐらいであったかしりませんし、このつややかさをキープし続けるのは大変であったろうと、男の村中でさえ感じました。ヘアメークさんに拍手です。
また、りりこが悪いことをする時は、真夜中のカラスもかくやと思わせる大盛りの黒髪に変わります。雨の中で失意に泣き崩れるときは、ロングヘアーが、汚い海草のように、べとべとと情けなく肌にまつわりつき、自らを鏡に写して整形の崩れに怯えるときは、パサパサの乾燥髪になります。ラスト近くで、運命を受け入れる決意をしたときは、亜麻色の暖かみのある色に変わっていました。
これに限らず、メーク、服装、装身具、部屋の調度、照明など、蜷川実花監督が、2時間全編にわたり自らの色彩技術と映像感覚のすべてを注ぎこんで、沢尻エリカという素材をひたすらいとおしみ、ひたすら手をかけていることが、よく伝わりました。こんなに手をかけてもらって、かまってもらって、これはもしかしたら、沢尻エリカの人生で、もっとも多く愛された経験なのかもしれません。ひとつの女冥利ではないでしょうか。
ヘルタースケルターは情交シーンの多い映画ですが、もっともぐったりするのは、蜷川監督が沢尻エリカをいじくりまくる映像そのものであったと思います。
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*** 2: 精も根も尽き果てた?沢尻エリカ
プレミアを体調不良で欠席。ところが同じ日に金髪ショートカットで遊び歩いていたところをパパラッチされ、相変わらずのお騒がせぶりを保っている沢尻エリカは、初日の舞台挨拶には、ヒマワリ柄のワンピースに金髪ショートカットで登場しましたが、村中は、見た瞬間、「あちゃ、映画に比べると、劣化してないか? 少し顔、むくんでるんでないの?」と思いました。瀬川 瑛子かと思った。
しかし、それも無理なからぬことです。撮影中、プロポーションとお肌のコンディションを保つのは本当に大変だったと思います。撮影が終わり、緊張が解けて、もしかしたらポテチの一気食いぐらいしているかもしれません。その影響を隠すための、金髪&ヒマワリというビジュアル戦略だったのかもしれません。村中は責める気にはなれず、むしろお疲れ様を言いたいところです。映画は良かったわけですから。
***3: いつもキョドってて、今イチ苦手だった寺島しのぶが今回は当たり役!
ヘルタースケルターでりりこに翻弄されるマネージャー役を演じていた寺島しのぶは、近年は若松孝二監督「キャタピラー」に主演しベルリン映画祭で最優秀女優賞を受賞するなど、名優として名高いのですが、村中は、この人がどうもずっと苦手でした。
おそらく大変な努力家であり、きっと演技も上手いのだと思いますが、主演女優賞を取った「キャタピラー」の演技が、戦争で手足を失った夫にまたがって、愛憎ないませの感情の高ぶりの中で、これ食えと夫の口と顔に生卵をぶちまけるという演技だそうで、予告編でちょこっと見ましたが、いやー、これ映画館では見たくないわ~と思いました。
寺島しのぶの母親は、同じく女優の富司純子(東映時代は藤純子)です。しかし、緋牡丹博徒 など女ヤクザものに主演した藤純子が、演技の巧拙はさておき、「お命頂戴いたします」の啖呵もそれは堂々としているのに対し、娘の寺島しのぶの方は、どうもなんだか目が泳ぐというか、今ひとつ堂々としていないというか、今風の言い方で言えば、キョドっているので、観客として見ていると、何かイライラしてしまうのですね。
ところがヘルタースケルターで蜷川監督が寺島しのぶに与えた役は、りりこ(沢尻エリカ)に、イライラされ、八つ当たりされ、ナメられ、翻弄され、人間オモチャにされる中年マネージャーの役で、これは寺島しのぶの、「堂々としていないところ」「キョドっているところ」がかえって役にピッタリであり、まさしく当たり役でした。
映画ヘルタースケルターは、筋立て、設定はほぼ原作の漫画を踏襲していますが、大きく変わっているのが、この女性マネージャーの年齢です。原作のマネージャーはりりこと同年代の20代の女性でしたが、映画では35歳の中年女性。これは映画を見ていて、その手があったかと感心しました。
35歳のいい大人が20いくつの小娘に罵倒され操作され翻弄されることで、りりここと沢尻エリカの凶悪さと美しさがさらに引き立つのです。さすが蜷川実花、女の配置にはものすごい才能です。おそれいりました。
***4: 大の苦手の桃井かおりも当たり役だった!
寺島しのぶと同じく桃井かおりも、村中には永らく苦手な女優でした。この人は、「疑惑(1982年 野村芳太郎監督)」でも「ええじゃないか(1981年、今村昌平監督)」でも、男を狂わす悪女役で出演することが多いのですが、率直に言って、大美女ということもなく、映画を観ていても、わざわざ桃井かおりに狂わされなくてもいいじゃないかと思えてしまいます。演技力も特に高いとも思えず、どの映画でもドラマでもCMでも、いつも金太郎飴的に桃井かおりのあのしゃべり方、あのイントネーション。個性といえば個性なのでしょうが、村中はどうもあのしゃべり方が苦手で、見ていると、つい、「おい、もっと真面目にやれよ」、「少しは人の話を聞けよ」と説教くさい苦言を呈したくなります。
村中としては、これまで、桃井かおりが出ていることでさらに良くなっている映画というのを今まで見たことがありません。今村昌平監督は著書の中で、「ええじゃないかに、桃井かおりを使ったのはミスキャストだった」と明言していました。
だがしかし、今回のヘルタースケルターでは、桃井かおりがとんでもない当たり役だったのです。桃井かおりが出ていることで映画がすごく良くなっていました。
この映画で桃井かおりは、醜女だったりりこに全身整形をさせて美女に生まれ変わらせた芸能プロダクションのやり手女社長として登場します。桃井かおりの、あのふざけた感じ、あのインチキくさい感じが、虚飾と計算だけに生きる芸能プロダクションの女社長にぴったりでした。映画全編にわたり、桃井かおりは、話すこと全てが邪悪で、その場しのぎで、誠実さのかけらもありません。
映画の終盤で、芸能界からも干され、深く傷ついたりりこ(沢尻エリカ)が、「ねえ、ママ、あたしって赤字だった?」と胸の奥から絞り出すような泣きそうな声で問いかけたのに対し、「そりゃ赤字よお~」とあの桃井かおりのしゃべりであっさり返事するシーンの邪悪さと言ったらありませんでした。原作では、この女社長はも少し太ったおばさんであり、これも映画で設定が変わっているところのひとつです。蜷川監督、女の配役センスすごい。
*** 5: マッドサイエンテスト女医に、原田美枝子を当てるとは!
醜女だったりりこをスーパー美女に生まれ変わらせた美容整形の狂気の名医を演じているのは原田美枝子でした。原田美枝子といえば、個人的には、黒澤明監督の「乱(1985年)」での楓の方役が印象に強いです。正統派の美人女優だと思います。
この女医は原作では60過ぎの、地味なひっつめ白髪のおばあさんでした。時空を越えてキャスティングして良いなら岸田今日子とかが適役かなと勝手に思っていましたが、そこに原田美枝子をはめこむとはやられました。岸田今日子ではベタすぎ、安易すぎでした。原田美枝子の方が絶対いいです。おそれいりました。この女医はいい人に見えても悪い人に見えてもいけない役ですが、それを唇の引き締め方で表現しているのが、なるほどーと思いました。
*** 6:妙に納得させられた水原希子
人工美女、沢尻エリカの地位を脅かす、天然美少女、吉川こずえ役を演じていたのが、水原希子という女優(ファッションモデル)でした。村中はこの人のこと知らずに、この映画で始めて見ました。映画の中では、「いるのよねぇ、こういう生まれつきキレイって子が」と紹介されていましたが、正直、村中としては、「存在感はあるなあ。でも、そんなに大美女かなあ」と思ってしまいましたが、これは男
目線と女性目線の違いなのかもしれません。水原希子はSPAなど男性誌のグラビアに出る感じではなく、「女性目線から見た、ナチュラルでキレイな女の子」ということになるのでしょう(ちなみに村中的には、「いるのよねぇ、こういう生まれつきキレイって子が」と思うのは、石原さとみとかです)
でも、映画の中でのバランスという点では、たしかに水原希子は、見た目も、雰囲気も、沢尻エリカとまったくダブっていません。そして、この吉川こずえ役は、見る観客に「この子はぜったい整形していない」と確信を持たせるルックスでなければいけません。そう考えると、なるほど水原希子だなと、妙に納得させられました。
***7: 映画に軽さを与えていた上野耕路の音楽
この映画は、映像は濃いし、ストーリーも陰惨なので、どこかで「軽さ」を確保しなければいけません。原作マンガでは、それは岡崎京子の白く乾いた絵柄でしたが、ぐっしょりした極彩色の映像が持ち味の蜷川監督は、映画の中で、どこで軽さを与えるのだろうかと注目しながら、映画を観ましたが、それは上野耕路の音楽でした。上野耕路はクラシックとモダーンミュージックと大陸歌謡をミックスさせた優雅で軽妙な音楽を作る作曲家です。村中的には、戸川純と組んでいたユニット、「ゲルニカ」が印象に残っています。ヘルタースケルターでは、ぐったりする映像世界を、軽快で優雅な音楽でクールダウンしていました。刺激的なカットが次々移り変わるシーンに合わせて、ソビエトの大作曲家、ショスタコービッチ風(というか、まんま)の音楽が重なっていたところが特に印象に残りました。この映画に上野耕路を起用したのは、ひそかなファインプレーだと思います。
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***8: 脚本は堅実だったと思う。
この映画を観る前の一番の不安要因が脚本でしたが、原作のツボを押さえ、しかし原作に飲み込まれすぎず、原作のセリフの順番を入れ替えたり、一部のシーンや登場人物を省略したり、映画が映画として成り立てるよう、脚本の金子ありさは、堅実に仕事したと思います。一部には、ラスト20分が冗長すぎるという声もありますが、まあ、原作もそんなかんじだからなあ。現実から幻想へとブリッジをかける部分の映像表現は、まあ、とりあえずああやるのが手堅いよなあと思いました。あれをスッキリさせるには、原作を離れて、別のストーリーを考えなければいけなくなります。そこまで求めるのは酷ではないかと。
以上、映画ヘルタースケルターの良かったと思うところを書きました。次回は、「気になったところを書こうと思います。
P.S: 今、このブログを書きながら、アメリカ映画「プレシャス」のテレビ放映を横目で見てますが、なんだか「逆・ヘルタースケルター」みたいな世界です。